大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和25年(オ)15号 判決 1954年2月18日

東京都中央區湊町三丁目一〇番地

上告人

丸山三良

右訴訟代理人弁護士

盛川康

同都同區築地四丁目三番地

被上告人

本間治一郎

右当事者間の仮処分異議事件について、東京高等裁判所が昭和二四年一二月二二日言渡した判決に對し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告訴訟代理人盛川康の上告理由第一点について。

疏明が証明に對比して要証事実の眞実性につき低度の蓋然性を以て足るものとすることは所論のとおりであるが、その事は疏明方法たる証拠の信憑力が全然度外視さるべきことを意味するものではない。すなわち疏明の場合においても、提出された証拠に信憑力がなく裁判所がこれを採用し得ないものとする限り、たとえその証拠が要証事実に符合する内容を有するとしても、ただそれだけで、当該要証事実につき疏明ありとなすに足りないものであることは多言を要しないところである。そして証拠の信憑力は証拠の内容、その成立の過程、その他諸般の事情により形成せられるものであり、しかもこの証拠の信憑力を形成すべき諸般の事情は概ね互に相関連し混然一体をなして信憑力形成の事由となるを常とするのであり、その一つ一つを分離獨立せしめて信憑力形成の事由として観察することは許されないところなのである。換言すれば一定の証拠を措信すべきか否かの理由は、それら信憑力形成の事由たる諸般の事情の一つ一つについて論理的にこれを解明することは不可能でもあり、また事物自然の道理にも反するものといわなければならないのである。いわゆる自由心証とは單に法定証拠主義の束縛から解放されるという意味ばかりではなく、裁判所が証拠の信憑力に對する心証の形成について論理的にその理由を解明することなく証拠の採否を決定し得るとの意義をも包含するものといわなければならない。従来の大審院判例においても証拠を措信しない理由の如きは判決に説示する要なしとせられていたのであるが、この判例は前述の意味において正当である。

本件において原判決は所論の疏明方法は措信し得ないと説示しているのであり、その措信し得ない理由については説示を欠いていること所論のとおりであるが、上来説明したところによつて原判決に所論のような違法があるといい得ないことは明らかであつて、論旨は採用に値しない。

同第二点について。

論旨摘録にかかる原判決の説示は、上告人が本件契約には存續期間の定めがあり、その期間の経過により本件契約は終了した旨主張したのに對してなされた判断に関するものであり、原審が上告人主張の存續期間の約定については疏明なしとし、その主張を排斥したものであること判文上明白である。そして原判決によれば原審は更に本件契約に存續期間の定めなきことを前提として上告人のなした本件解約申入にいわゆる正当の理由があつたか否かについても判断を与えているのである。すなわち原審は所論上告人方の生計につき「上告人が戦災のため一擧にして資産を失いこの激動期に処して種々辛労を重ねて来た」ことは窺い得ないではないが、擧示の証拠により疏明せられた「その後上告人が相当立派な店舖(上告人はもと「大黒屋」という天婦羅屋を營んでおりその他に多数の貸家等を所有し興業方面等にも関係して居た)並びに住宅を新築した」との事実に徴すれば、「上告人には本件浴場を自ら経營する外に生計を立てる道が残されていなかつた」との上告人主張の事実については結局疏明なきに帰着し、上告人のなした本件解約申入には正当の事由ありとなし難い旨判示し、所論上告人の主張を排斥しているのである。されば、原判決には所論のような判断の遺脱はなく、論旨は理由なきものである。

同第三点について。

原判決擧示の証拠によれば、原審が所論判示事実につき疏明ありとなしたことを肯認することができる。原判決には所論のような違法はなく、論旨は採るを得ない。

同第四点について。

記録によれば、原審において上告人が本件解約申入の正当事由として主張した事実の要旨は結局上告人が自ら本件浴場を経營する以外にその生計を立てる途はないというに帰するのであつて、しかも原審は論旨第二点に對する説明で述べたように、かかる上告人主張の事実については疏明なきものと判示しているのである。そして借家法一条の二にいわゆる建物賃貸借解約の申入はこれを正当ならしめる事由がある場合でなければその効なきこと勿論であるから、原審が所論のような被上告人に本件浴場を明渡し得ないとする事情の有無につき言及するまでもなく、右上告人の主張を排斥したからとて、この一事を捉えて原判決に所論のような違法があるとはいいえない。論旨は理由なきものである。

よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 眞野毅 裁判官 齋藤悠輔)

昭和二五年(オ)第一五号

上告人 丸山三良

被上告人 本間治一郎

上告代理人弁護士盛川康の上告理由

右当事者間の御庁昭和廿五年(オ)第一五号仮処分異議上告事件に付昭和廿五年二月一日上告人に對し訴訟記録の送付を受けたる通知ありたるに依り次の如く上告理由書を提出す。

第一点 原審判決は其理由(一)(記録四二四丁)に於て

「(一)本件浴場「築地湯」の経營が控訴人の主張する管理委任契約の趣旨に基くものであるとの当審証人丸山景三、丸山リウの各証言及び一部右控訴人の主張に添ふ甲第十七第十八号証の各一、二の記載は当審に於ける被控訴本人訊問の結果に照してこれを採用することはできず結局控訴人か当審で新に提出した資料を以てしてもその主張事実を疏明するに由なく又原審において控訴人の提出にかゝる凡ての疏明資料も被控訴人擧示の反對疏明と對比すれば控訴人の右主張事実を疏明するに足りないのである」

と判示してゐる。

然れども原審判決は單に右主張事実を疏明するに足りないとのみ一蹴したのみで例へば甲号各証は如何なる事由の下に信憑し得ざるか又は証人大木同亀井同丸山景三同同リウ並に同鷲山(甲第一八号証の一、二)同中村(甲第一九号証の一、二)は何故に措信し得ざるやを説明していない。

結局之れを要約すれば原審判決は各証拠に説明を付せさる誠に不親切極まる判決である。

加之上告人(控訴人債權者)に於て以上の各証拠を提供するに至つては疏明として充分である事は否定すべきでない此の点からしても原審判決は仮処分手續に於ける疏明の意義を看過し恰も確信証明を要求するが如きは敢て本件訴訟手續(民訴第七百四十一条同法第七百五十六条)に違背あるものにして此の点に於て破毀すべきものなり。

蓋し「或事項に付て当事者が裁判官に確信を得しめるが為め努力又は之に基いて裁判所が確信を得た状態を証明と稱する。所が法が特に実体関係の終局的確定の目的ではなく訴訟上の申立の許否を判定する等の迅速を尚ふ趣旨から当事者の主張事実に付て裁判官に確信の程度の心証を要求せず一応確からしいとの推測を得れば足りることとして居る場合があり此の程度の心証を惹起せしめる努力を疏明と稱する」(兼子一、民事訴訟法概論二七六頁參照)

第二点 原審判決は其の理由に於て(記録四二五丁裏十行目)

「ところで成立に爭のない甲第一ないし第九号証第十号証の一の本件賃貸借につき作成された契約書によれば本契約の存續期間は初よりこれを一箇年と定め毎年これを更新して最後に昭和二十一年十一月一日の契約により同月二十日より翌昭和二十二年十一月十九日までとの約定したことを認めうる記載は存するけれども成立に争のない第一ないし第十五号証第二十三号証の二と原審並びに当審における被控訴本人訊問の結果によれば一般に浴場賃貸借においてはその營業成績に応じて賃料を増減するのが常であり本件においてもこの一般の例と同じく将来の營業成績又は物価の変動に徴して更に賃料を改訂する為め一応一年の期間を定めたのであつて被控訴人は最初控訴人より右証書面の条項によらずできるだけ長く借りて呉れといわれ期間を定めす賃借したのであるから右は即ち賃料改訂の為めの期間を定めた趣旨に外ならず事実本件賃料はその後当事者間の合意によつて屡々変更され来つたことを認めうる。それ故これを契約書記載の文字通り賃貸借存續の期間を定めたものであるとする控訴人の主張は採用するに由なく又当審丸山りうの証言中昭和二十一年十一月被控訴人は一年の期間経過後は本件浴場建物を控訴人に返還することを約束したとの旨の供述部分は以上の認定に照して到底信用し難くその他控訴人の疏明方法によつては右認定を左右することはできぬので本件賃貸借か存續期間の満了により終了したとの控訴人の主張は排斥を免れない」

と判示しあるも既に上告人(控訴人債權者)に於て本件建物を自ら使用する事を必要とする場合其他正当の事由ある場合(借家法第一条の二)を擧示して而かも複数の理由を説明しある事は原審口頭弁論調書「昭和二四年九月六日付記録三五六丁昭和二四年六月二五日付上告人(控訴人)提出に係る書面陳述」に依るも明らかである。

殊に同書面(記録三五〇丁)は戦災に基因せる事を強張しあるものにして原審判決理由の如く「成立に爭のない乙第一ないし第十五号証第二十三号証の二原審並に当審における被控訴人本人の訊問の結果によれは………」等本件契約当初の理由を説明し戦災を一定区画として強度の其必要性を区別判断してゐない。

帰着する処原審判決は契約当初の理由のみを専念し其の后の上告人(控訴人)の前記主張事実に何等説明を加いざると同時に上告人(控訴人)の主張事実に判断を遺脱したる違法ある判決にして当然破毀すべきものである。

第三点 原審判決は其理由に於て(記録四二六丁裏十一行目より)

次に控訴人主張の解約申入の点につき判断する

控訴人が被控訴人に對し本件浴場建物の管理委任契約の終了を原因としてこれが明渡請求の本案訴訟を提起し昭和二十二年十一月二十一日右訴状が被控訴人に送達されたことは被控訴人の認めるところである。そして控訴人としては被控訴人の本件建物使用が管理委任の関係によるものであれ又は被控訴人の主張する如く賃貸借契約に基くものであれ控訴人自らこれを使用する為め建物の明渡を求める本意であることに変りはないので後者の場合は既存の賃貸借を終了せしめて賃貸建物の返還を受くべき解約申入の意思をも包含するものと解し得ないわけではない、然しながら被控訴人が本件建物を現にこれに居住して浴場を経營しここに生活の基盤を有する被控訴人より取上げて自らこれを使用せねばならぬ緊急の必要に迫られているとの点に至つては控訴人の擧げる凡ての疏明資料を以つてしてもにわかにこれを肯認することはできない。

即ち控訴人は以前舊淺草区役所脇に大黒屋として廣く世上に知られた天婦羅屋を營み幾多の貸家をも所有し相当裕福な生活をして来たのであるが戦災の為め一擧にしてこれ等資産を失い現在多数の家族を擁して徒食してこの激動期に処して種々生計上の方途につき辛労を重ねて来たことは原審における控訴本人訊問の結果並びに当審証人丸山景三、丸山りうの各証言よつてこれを窺いうるところではあるが他面成立に爭のない乙第二十八号証と当審の被控訴本人訊問の結果によれば控訴人は昭和二十四年十月七日建築許可を受けて舊營業所跡に床面積十六坪の可成り立派なる店舖並びに住宅の建設に着手し既に殆どこれが落成を見るに至り近く同所において舊時の營業を再開しうる運びとなつたことを認めることができるので控訴人にはなお相当の経濟的余力あることを推知しうるのみならず右開業の上は控訴人家の生活状況も自ら打開されるに至るべくその營業上の収入を以てしても依然一家の生計を支え難いことを認むべき証拠は存しない」

と判示しあるも

如何なる証拠に依りて上告人(控訴人債權者)が其の判示の如く(1)控訴人にはなお相当の経濟的余力のあることを推知し………(2)右開業の上は控訴人家の生活状況も自ら打開されるに至るべく(3)その營業上の収入を以てしても依然一家の生計を支え難いことを認むべき証拠は存しない等説明してゐるが將来如何なる營業に依つて何程の収入を得て上告人(控訴人債權者)家族十数人が生計し得らるるや毛頭証拠もなければ被上告人(被控訴人債務者)の立証も無く原審口頭弁論を通じて見ても斯る事実を推測し得る資料は無い、帰着する所原審は獨断專行を以て上告人(控訴人)の主張を否定せんとする為めの判決理由であつて全く危險極まる裁判である。

然らば結局原審判決は証拠の無い事実を提いて事実を認定したか皆無の証拠に依り事実誤認したる違法あるものにして須らく破毀を免れざるものとす。

第四点 原審判決は上告人(控訴人債權者)に於て本件浴場の明渡請求の必要上民事訴訟法第七百六十条に依る仮処分の申請を為したことは記録上明瞭である。そして上告人(控訴人債權者)は其理由を疏明(上告人本人訊問(記録二八七丁)証人丸山景三(同三六二丁)同同りう(記録四〇四丁))したことは疑のない処である。仮りに原審認定の如く本件基本の契約は管理契約に非ず賃貸借の類型に屬するものとしても一方相手方被上告人(被控訴人債務者)は本件係爭の浴場を明渡されては困ると云ふ事を支持する緊迫の事由は更に疏明されてゐない。(被上告人訊問調書記録二九四丁以下同四一一丁以下)

即ち甞て大審院昭和十八年二月十二日判決当時判例集第二二巻第二号に於ても「建物の賃貸人から自ら使用する必要ありて解約の申入を為す場合に於て借家法第一条の二に所謂正当の事由ありとなすには必しも賃貸人の利益か賃借人の利益より大なることを要するものに非す」と宣言してゐる。

由是観之原審判決は結局上告人(控訴人債權者)の本件係爭の浴場の明渡を求むるに付この借家法第一条の二の法条を誤解し且つ相手方なる被上告人(被控訴人債務者)の利益に付上告人(控訴人債權者)との間の利益の衡量に付被上告人の立証を欠くに不拘之れか反對に上告人の主張を排斥したるは前記法条を誤解したるに原由するものにして従来の大審院判例に反するものなれば当然破毀すべきものと信ず。

右上告人理由書を提出致します。

以上

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